<?php include_once("analyticstracking.php") ?>

30代の悩めるファッション・ライフスタイル日記

30代のパパが、インポートファッション、インテリア、雑貨などのこだわりのライフスタイルについて綴るブログです。

人間は、見た目が大事!?

こんにちは!
本日は、「人間は、見た目が大事!?」と言うテーマでコラム的にお送りしたいと思います。

それでは、早速まいりましょう。

■人間は、視覚動物である
さて、「人は見た目じゃないから、しっかり中身を見て判断しましょう」とはよく格言のように言われる言葉ですよね。確かに1つの”真理”とも思えるような気もするのですが、本日はあえて「見た目(外見)が大事」と言うことを述べてみることに挑戦するわけです。
人物シルエット_男女

そのアプローチとして、人間の根源的なところに迫ってみたいと思うのですが、そもそも「人間は動物である」と言うことは、言わずと知れた事実です。ただ、普段の生活におきましてそれを意識することは、”ほぼ”無いですよね!?

この地球上には人間も含めて多くの生物が存在致しますが、その多くの生物が五感、すなわち、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚と言う感覚機能を通して外部環境を感じていると言われています。

しかし、人間はその中でも、唯一!?の存在に近い、視覚動物だそうです。つまり、視覚情報にその多くを頼っている、と言うことですね。

例えばDNAの配列が人間に近いとされるチンパンジーやオラウータンであっても、視覚情報を使いはするものの、嗅覚や触覚情報などによって情報を補完しながら物事を判断していると言われているそう。

人類の祖先はホモ・サピエンスであり、40万年から25万年ほど前に今のアフリカに現れたとされております。当初人類の祖先はジャングルという森の中で暮らしていたものの、火山の爆発などによって移動を余儀なくされたと。人類と共通の祖先を持つと言われているチンパンジーやオラウータンの祖先が東や南に逃げる中、人の祖先となる種族は北へ逃げた。

しかし、そこには(サハラ)砂漠が広がっており、木で囲まれたジャングルとは全く異なる世界であったと。

それまでは視覚だけではなく、嗅覚や触覚を使って生きるための食料を探していたものの、砂しかない砂漠ではそれらの感覚器官が役に立たない。更に、ジャングルであれば外敵から身を隠せる物影が多数あるわけですが、砂漠は身を隠せる場所が無い。よって、食糧となるものを見つけられるよう、また外敵に早く気付いて逃げることが出来るよう、視点を上げる必要があったと。

そこで、それまでの4足歩行から、2足歩行をすることで視点を上げて、より今の人間に近い状態へと進化していった。と言いますか、正確には、そのような環境に適応したものが生き残り、環境に適応できなかったものは絶滅したと。

つまり、人間の祖先は環境に適用するために、五感である視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚のうち、視覚が急激に発達していったと言うことなんです。もちろん上述したようなことを証明する確実な根拠はなく、あくまで1つの進化の過程における考え方、でしかないのですが、少なくともその後進化を続けた我々人類が、その多くを視覚情報に頼っていることは、まぎれもない事実かと思われます。

事実、本ブログも文字と言う、視覚情報をもとにお読み頂いているわけですよね。

そもそも文字の発明は視覚の発達無しには考えられないわけですし、例えば「五感のうち1つだけを使って家から会社まで行ってください。」と言われたらどうでしょうか!?味覚はもちろんですが、耳を塞がれたとしても、鼻をつままれたままであったとしても、恐らく問題なく会社に行けると思います。なぜなら、今の人間社会においては、視覚情報だけで十分移動することが可能だからです。

人間は、外部からの情報の9割を視覚に頼っている(※)と言われておりますが、その割合が正しいかどうかは置いておいたとしても、外部から情報を得る手段として視覚に多くを頼っている、と言うのはどうやら間違いがなさそうです。
※「産業教育機器システム便覧」(1972年:日科技連出版社)による

大分時間を遡りましたが、人類の進化の過程を追って考えていきますと、人間は視覚動物であり、そもそも視覚情報を持って様々な物事を判断するのは、”当然の結果である”と言う事が言えるのかもしれません。

■装うと言うことを考える
上記に記述したことは、私も最近とある勉強会で耳にしたことであり、人類の進化の歴史やら、人間が情報を得る手段としての視覚に関する論文を読み漁ったわけでもございませんので、論理に飛躍があったり、事実に若干の誤りがある可能性は多分にあります。ただ、それでも人間が視覚動物である、と言うことにはほぼ異論はないようにも感じます。

そんな人類の進化の過程から人間の特性を読み解いてくるに、私が普段夢中になっている「装うこと」を、しっかり考えていくこともまた、今の人間社会を円滑に乗り切っていく上では重要な要素なのかなと思ったりするのです。

つまり、人間は視覚動物であり、物事を判断する際の情報の多くを視覚情報に頼っているのであれば、その判断材料となる視覚情報である「装い=見た目」をしっかりと整えておくことは、マイナスになることはなく、むしろプラスに作用することが多い可能性が高いのだと。

仕事でも何でも、人間関係の基礎となるものはやっぱり信頼関係だと思っています。

家庭や気心の知れた仲間同士、換言すると既に”信頼関係の構築が出来てる人同士”であれば、装いがその人間性の判断に影響を与える可能性は極めて小さいのだと思います。

しかし、初対面である場合には、「装い」がその場に適切かどうかはもちろんのこと、「装い」と言う視覚情報が、その人が信頼するに値する人物なのかどうか、と言う判断材料の多くを提供する可能性が高いことは、上記記述からも合理的に言えるのでないかと思うわけです。

そうしますと「装い」で最もアピールしたいことは、「お洒落であること」や「カッコ良いこと」ではなく、「信頼できる人間であること」になるのは自然な流れではないでしょうか。

もちろん、既に信頼関係の構築が出来ている環境であれば、多少の遊びも許されるのかもしれませんが、そうではない場合は、「信頼できる人間であること」を第1に考えて装うこと、つまり、「見た目がとても大切だ」と言うことを自分自身への戒めの意味を含めて、改めて強く思うのでした。

素人の戯言のごとく、くだらないコラムでしたが、最後までお読み頂き、ありがとうございましたっ!






Post comment

管理者にだけ表示を許可する