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30代の悩めるファッション・ライフスタイル日記

30代のパパが、インポートファッション、インテリア、雑貨などのこだわりのライフスタイルについて綴るブログです。

残るものが優れている、とは限らない!?(後編):進化論×ファッション論

こんにちは!
本日は、「残るものが優れている、とは限らない!?(後編)」と言うことでお送りしたいと思います。

まず、前編ではTOKYOlifeさんのメルマガにて発信された「別注について色々考える今日この頃。。」と言うタイトルのコラムによる問題定義に端を発し、現在日本のセレクトShopにおいて”別注アイテム”が急増している裏側、大人の事情なんかについて記述致しました。

具体的には、元はShopやバイヤーの提案したいスタイルをメーカーに作って貰うと言うことでスタートした”別注アイテム”が、物づくりの精神性から離れ、差別化や希少性と言った販売戦略の一環として位置付けられた結果、本来のブランドの魅力が顧客に伝わりきらなかったり、”別注”に頼ることでブランドが本来持つ魅力が失われてしまう。そして、そういうブランドの中には消えていものも存在すると言う現実をご紹介致しました。

また、販売代理店が自社で扱うブランドの取引量拡大の為に素材や仕様を下げたセカンドラインを作り出し、結果としてそれが良質なブランドを衰退に追いやってしまうという事例がある事もご紹介致しました。

ただ、それらの行為は決して悪意から行われるものではなく、メーカーや代理店、小売企業と言った利益を追求する企業体が収益を上げるべく、また競争を勝ち抜くための戦略の”結果として生まれた”ものである、と言うことも記述しましたね。

本日はここからスタートしたいと思います。

■生物学上の進化とは、決して改良、改善ではない
さて、皆さんは「進化」と言うと、どういうイメージをお持ちになられるでしょうか!?恐らく、「前よりも良い」や「改良」、「改善」と言う言葉をお考えになられる方が多いと思いますし、実際そう言った意味合いで使われることが多々あるかと思います。もちろん、私もこれまでのBlogの中におきまして、そう言った意味合いで「進化」と言う言葉を用いたことがありました。

しかし、生物学上で言う所の「進化」と言うのは、決して「改良」、「改善」を意味するものではありません。「進化」とは、あくまで環境に適応した”結果”であると。もう少し正確に言うのであれば、”残ったもの”の適応変化を、後から「進化した」と結論付けたに過ぎないわけです。

例えば人間の体の構造を見て行くと、その進化の過程が見えてくるわけですが、どうしてこう言う構造になっているのだろう!?と思われる造りがあったりするのだそうです。ちょっと分かりにくいので具体的に説明します。

例として、神経の経路における不合理があると言います。喉頭と脳を繋ぐ神経に、反回神経と言う神経があるのだそうですが、サメの場合は、その間を最短に近い経路で結んでいるのだとか。その一方、脊椎動物は、その進化の過程で胸や顎の構造が変化する中で、反回神経が喉頭から心臓辺りまで一旦下がり、その後また上昇して脳に至るようになったため、一見すると”遠回り”をしているのだそうです。

人間も脊椎動物の一種ですが、人間の反回神経は、本来最短で結べば数センチですむそうですが、上述したような進化の過程で10センチほどの長さになっている、つまりわざわざ遠回りをして神経を繋いでいるのだと。

「進化」を「改良」「改善」とするのであれば、本来造りは効率的になってしかるべきですよね。しかし、実際はそうなってはいないわけです。つまり、少なくとも生物学上の「進化」とは、「改良」「改善」を意味するのもではなく、あくまで環境に適応して生き残った「結果」に過ぎない、そのように捉える事が出来るわけですね。

私は生物学者でもなければ、その道のプロではありませんが、今まで聞いたこと、読んだ本、そしてウィキペディア等のインターネット上の情報を総合して考えてみますと、上に述べたことは大きく事実に反することは無いと思っております。

■残るものが優れている、とは限らない!?
さて、生物学上の進化とは、「改良」「改善」ではなく、あくまで環境に適応した「結果」であることは、上述した通りなのですが、これってファッションにおけるブランドやアイテムにも言えますよね!と感じるのは私だけでしょうか!?

経済環境や技術変化、その時のトレンドと言ったマクロ環境の中で、メーカーや代理店、小売り、そして我々消費者がその時点での最適解を求めてきた「結果」が、今も残るブランドであったり、アイテムであったり、クオリティや仕様であったりするのかなと。

例えば車の性能のように、数値化できるものであれば以前よりも改良された、改善された、つまり「進化」しているのだ!と表現することも可能だと思うのですが、ファッションの場合はブランドやアイテムの売上数、売上額が大きいから、それがモノとしても良いものだ!とは限らないわけです。

つまり、様々な時代を経て今残っているブランド、今売っているアイテムなどは他より優れているから残っているのだと一様に判断するのは難しく、トレンドにうまく乗ったり、マーケティング戦略が上手く機能したり、たまたま影響力のある人によってプッシュされたりと言う、その時代時代の環境にうまくハマった結果、残っているにすぎないのだと。

もちろん中には良いモノを作り続けてきた結果、残っているブランドやアイテムも間違いなくあるのだと思いますが、そう言ったものばかりではない、と言うのが現実なのではないでしょうか。

私が社会人になりたての頃に、先輩から言われた言葉が思い出されます。

「昔は知っている人が得をする時代だった。しかし今は、知らない人が損をする時代だ。」と。

より良いモノと出会うためには、自分自身の審美眼、モノを見る目をしっかりと養ったり、自分の代わりに”目”となって下さる信頼できるパートナーを見つけたりすることが必要なようですね。

これからも審美眼、モノを見る目を養う努力を忘れずに、また、少しでも多くの素晴らしいモノがしっかりと、長く残っていくように、応援していきたいと改めて思うのでした。









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