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Think Elegant !

ファッションを通して自らの人生と向き合い、美しいと感じるスタイルを追及するブログです。

人生最後の日に何を着るのか!?:グレー無地 ダブルブレステッド ビスポークスーツ by Sartoria Solito(サルトリア・ソリート)

こんにちは!
本日は「人生最後の日に何を着るのか!?:グレー無地 ダブルブレステッド ビスポークスーツ by Sartoria Solito(サルトリア・ソリート) 」と言うテーマで、少し前に納品を頂いていた、Sartoria Solito(サルトリア・ソリート)による ビスポークスーツをご紹介したいと思います。

それでは、まいりましょう。

■最高は1着で良い!?
先日久しぶりにSharonさんにて開催された、サルトリア・ソリートのトランクショーに参加させて頂きました。現在仕立てて頂いているジャケットの中縫い、仮縫いを済ませて来たのですが、合わせて納品を頂いていたスーツを引き取ってきました。

納品時にも当然試着はしていたのですが、帰宅後に改めて袖を通してみて思ったことは

最高かよ。

の一言でした。(笑)

今回納品を頂いたのは、グレー無地のダブルブレステッドスーツです。以前「The BEST of Double Breasted Suit : Sartoria Solito(サルトリア・ソリート) ビスポークスーツ」と言う記事において、ネイビー無地のダブルブレステッドスーツを納品頂き、あまりの良さにグレーのダブルも追加オーダーしてしまったと記載しておりましたが、その時のスーツがこちらになります。
ソリート_エスコリアル_グレーダブル1

オーダーを入れたのは日本における本格的なコロナ禍突入の直前でしたので、今や社会環境の変化に伴い、私のビジネスウェアもコロナ禍以前に比べると様変わりしています。よってスーツを着る機会があるのか?と言われれば、限りなく減っている現状は否めないわけですが、正直そんなことはどうでも良いと感じるほど、素晴らしい出来栄えでした。
ソリート_エスコリアル_グレーダブル2

生地はネイビーのダブルブレステッドスーツと同じ、エスコリアルウールの4plyになります。独特のヌメリ感からは上品さを感じ、カシミアのようなタッチがあるにもかかわらず、カシミアほど扱いに繊細さを求められない実用性の高さも魅力的。個人的に一番好きな生地の1つであることは、これまでも述べて来た通りです。
ソリート_エスコリアル_グレーダブル3

ネイビーのダブルブレステッドスーツも「The BEST of Double Breasted Suit」と表現しましたが、今回も「グレー無地のダブルブレステッドスーツとしては、アガリの1着」だと確信しています。よって今後ネイビー、グレーともに無地のダブルブレステッドスーツを秋冬用としてオーダーすることは、私の人生では二度とありません。つまり、人生で最初で最後のグレー無地のダブルとなります。

最高は1着で良い

1年には春夏秋冬と4シーズンがあり、それぞれが3、4カ月間くらいですよね。冬は12月から2月までの3カ月、春は3月から5月の3カ月、夏は6月から9月4カ月、秋が10月、11月。

1ヵ月は30日くらいですから、スーツやジャケットでSS/AWでそれぞれ30着程度を保有する私のような方は、1着あたりのシーズン着用機会って、ざっくり3、4回くらいになりますね。

30着を持っている方が1日1着ると、30日で全部を1回着る計算です。これが3~4カ月あるわけですから、3、4回。

もちろんスーツやジャケットを着ない日もありますし、アイテムの頻度等によって1回しか着ないもの、5,6回着るものなどのばらつきはありますが、1シーズン片手くらいしか着ない服って、なんかモッタイナイし、せっかく買ったのに、仕立てて頂いたのに・・・と言う感覚を最近強く持つようになりました。

服好きなら毎日違う服を着たい!と言う気持ちがある方もいらっしゃると思いますし、私も若い頃であればそういった感覚もあったように思います。

しかし現時点においては、”本当に好きな服を長く、出来るだけ沢山着ることが自分の人生にとっては幸せだ”と言う価値観が強くなっています。よって自分の好みに沿ったスタイルにおいて最高だと、自身が感じられる服がそれぞれ1着あれば良いと考えるようになりました。

■人生最後の日に何を着るか。
さて、かなり重い!?サブタイトルです。(笑)

実は嫁さんは私と違って服好きでもなければ、モノ好きでもない。いわゆる、イベントや旅行などのコト好きです。よって、これまで「そんなに服を持っていてもあの世には持っていけないよ」的なことを沢山言われておりました。

確かにそれはその通りなのですが、好きな服、モノに囲まれることで現世を楽しく、幸せを感じながら過ごすことが出来るのであれば、それもまた良しと言う感覚でした。笑。

しかし、クローゼットから溢れ出し、積み重ねられた自らの服を見続ける中で、これからは心の底から愛すことの出来る服のみを手元に残し、そうではないものは少しずつ処分していこうと言う考え方に変わってきています。

そのような中で、「人生最後の日には何を着るのか?」と言うことをたまに考えることがあります。(笑)体は1つのみなので、身にまとうことが出来る服は1着のみ。かなり難しい判断になりますね。その時になってみないと分かりませんが、もし今判断するのであれば、今回受け取ってきたスーツは、その選択肢の1つに入るくらい気に入っています。
ソリート_エスコリアル_グレーダブル5

人生最後の日を迎えるその時まで感性を磨き続け、最後は自分の人生にとって最高の1着はこれだと言う判断を自信を持って行い、服飾人生を晴れて卒業出来ればと思っています。





果報(情熱)は寝て待て。-自己実現欲求の先にあるもの-

こんにちは。
突然ですが、最近ファッション熱が著しく低いです。コロナ禍に突入して間もない頃、好きな服を着て出かける機会が減ったことから同じようにテンションが下がったことはありましたが、今回はそれを超えるモチベーションの低さと言いますか、ファッションに対する自分の熱量がとても下がっていることを実感しています。

と言うことで、本日は「果報は寝て待て。」と言うことわざにかけて、「情熱は寝て待て。」と言うテーマを掲げてお送りしたいと思います。

■ファッションに対する熱量低下の要因を自己分析してみる。
物心がつき、”異性にモテたい”と言う、マズローの欲求階層説で言うところの最下層に位置する「生理的欲求」からスタートした、私のファッション人生。

その後、友人が着ているブランドと同じものが着たい!と言う「社会的欲求」の階層へと移行し、小学生の頃に流行っていたナイキやアディダスと言ったスポーツブランドのジャージに憧れを抱いて親に購入してもらったり、中高生ともなるとファッション雑誌の影響も相まってストリートブランド等に興味を持っては、友人と買い物に行く日々。

また、大学生の頃には稼いだバイト代を片手にDCブランド、ラグジュアリーブランドを買いあさったり、社会人となり、イタリアブランドに傾倒し始めた頃には、いわゆる周りから認められたい、カッコ良いと思われたいと言う「承認欲求」の階層へと階段をのぼっておりました。

そして手縫いのアイテムであったり、ビスポークの世界に足を踏み入れ始めると、経験と年を重ねたこともあるのでしょう。他人から認められたいと言う、外向きの欲求は自然となくなり、自分の世界観、スタイルを追求すると言った自分自身に対する内向きへと志向が移り、いわゆる「自己実現欲求」の階層までたどり着いたように感じています。

そんな「自己実現欲求」の先に何があるのか!?

私はここ数年間ほど「自己実現欲求」の階層へとどまってきましたが、最近思うことは、「自己実現欲求」の先にあるものは「無」だと感じています。

もちろん全ての方が同じような感覚を持つものではないと考えていますが、良い意味で!?自分の世界観、スタイルに対するこだわりが無くなると言いますか、深く考えることが無くなる、無意識の世界:「無」に突入しているように思うのです。

例えば直近では手縫い、職人さんによる手仕事の結果に大きな魅力を感じ、それをベースにしたスタイルを好んで追求してきたのですが、本記事を執筆している時点での感覚を言えば、手縫いか否かについては昔ほど気にしていないと言うのが実際のところです。

より正確に言うと、”「手段」としてのスタイルにはあまりこだわらくなった”と表現するのが正しいのかもしれません。

今でも自分自身が美しいと感じる世界観、スタイルは持っています。そしてそれは、これまでとさほど大きく変化してはいないと自認しているのですが、そのスタイルを構築するアイテムが手縫いか否かは、あまり関係ないのかなと。

手縫いやビスポークが美しいと感じることもありますし、逆に美しさを感じないこともある。またマシンメイドであっても同じで、美しいと感じることもあるし、感じないこともある。要は、どこのブランドであるとか、それが手縫いか否かであるかは、美しさを表現する上ではあまり関係のないことだと感じるようになっていると言うのが今の私の感覚です。

その背景には、色々なモノを着て、色々な経験をしつくしてきた感があるのかなと思っています。

自宅のワードローブには溢れ出すほどの服が収納されており、そこにはビスポークをはじめとして、最近熱を上げて購入をしてきたアイテムのみならず、大学生の頃に購入したブランド物やファストファッション、古着まで多種多様。恐らく世界で最も物質的な豊かさを有する日本において、これ以上メンズファッションの分野で新しく経験することはないのかなとも感じています。

それに加えて、好きが高じてクラシックファッションの歴史等を学んだり、多くの業界関係者と多様なコミュニケーションをとらせて頂くことで、業界の裏側に対する一定の知識を得たことも関係しているように思います。

知りすぎてしまうと、表に出てくる事象にどういった背景があるのか、どういった意図があるのかが分かってきます。そうすると、昔は感じることの出来たドキドキ感、ワクワク感を得ることが出来なくなってしまう・・・。

これはある意味ファッションに限ったことではなく、全ての物事において当てはまることなのかもしれません。

歳を重ねることで感動できることが減ってくる。それは様々な知識と経験を身に着けることで、心ではなく、頭で感じてしまうと言いますか、考えて、想像出来てしまうことに要因があるのかなと。もちろん実際に体験してみると、頭で分かっていた、想像していた範囲を超えてくることもありますが、心より頭が先に動いてしまうのは、知識と経験を重ねることによるメリットであるとともに、デメリット、弊害であるのかもしれません。

そんなこんなで、最近は物欲が無く、インターネットやインスタグラム等でも色々なモノを見てはいるのですが、心動くものがない。出会えないと言う状態なのです。

■果報(情熱)は寝て待て。
若い頃であれば、そんな不快な、何とも言えない状況に耐えきれず、何かしらのアクションを起こしていた私も年を取りました。これまでの経験から、そんな状況の時には焦ってもがくのではなく、落ち着いて時がくるのを待つことが良い方向に転じる上では好ましいことを知っています。

もちろんそれは、何もしないと言うことを意味するわけではありません。

今日のコーディネートの色合わせはやっぱり好きだなとか、このシルエットはやっぱり最高だわとか、この職人さんの仕事は感動的だと言った、ファッションに対する自分のプラスの感情が芽生えた時には、それらをしっかりと拾ってあげる。

また感性を共にできる、ファッション好きの友人との楽しいコミュニケーションの時間もまた、自分の心の深く、奥に入り込んだ感情にアプローチする意味では、時として効果的だったりもします。

いずれにせよ、無理をすることなく、小さなことに喜びを感じ、小さなプラスの感情を意識し続けることで、きっとまたファッションに対する情熱、暑い感情が沸き上がることもあるのだろうと、そんな風に思っています。

果報(情熱)は寝て待て。

色々な物事の変化のスピードが早くなる時代だからこそ、のんびりとかまえることも大切なのだと考えています。

自己実現欲求の先にあるもの・・・皆さまはどう思われますか!?